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コレクションの誕生、成長、変容 ―藝大美術館所蔵品選―

東京藝術大学大学美術館 展示室1・2
2009年7月4日(土)〜8月16日(日)
月曜日休館〔ただし7月20日(月・祝)は開館、7月21日(火)は閉館〕

第1章 コレクションの誕生 岡倉天心と東京美術学校初期の収蔵品

 絵画や標本等の収集活動は、学校制度や組織の制定と平行して開始され、東京美術学校(現東京藝術大学)が開校した明治22年[1889]4月には、多数の芸術資料が台帳に登録されていた。本章では、こうした東京美術学校草創期のコレクションを紹介する。
 明治22年に413点収蔵された「和漢画」のうち、台帳に「生産」と記載される16点は、狩野芳崖や橋本雅邦ら、開校時からの教官らによる作品で、校長岡倉と共に彼らが展開しようとした美術の理念を今日に伝える。一方、開校時には諸派の模本類が2000点ほど収蔵された。ここには、古画に学ぶ伝統的な教育方法が垣間見える。また、開校ほどなくして授業中の課題作品も収蔵されるようになった。本章で紹介する板谷波山の《鬼女》はその1つである。
 また、明治23年[1890]年には、文部省から東京美術学校に、金工品、及び漆工品がまとまって管理換えされ、教育資料に供された。本展ではその中から刀装具、印籠を一部紹介する。
 《絵因果経》や法隆寺裂などを始めとする古美術品には、岡倉らの日本美術に対する視座が投影されている。明治20年代に本格化した古美術保護の大きな流れの中に、こうした収蔵品を位置づけることもできよう。
  明治22年5月に帝国博物館が設置されると、岡倉はその美術部長も兼任した。法隆寺裂、《月光菩薩坐像》など帝国博物館と所蔵を分けたもの、《竹林七妍図》のように博物館との間で貸借の行われたものの存在は、岡倉校長時代を通じた美術学校と博物館との密接な関係を示す事例であろう。

001 ◎ 絵因果経 天平時代[8世紀後半]
Illustrated sutra of past and present karma
002 ○ 繍仏裂 白鳳時代
Fragments of ban (Buddhist ritual banner) with embroidered apsaras
003 ○ 繍仏裂 白鳳時代
Fragments of ban (Buddhist ritual banner) with embroidered apsaras
004 ○ 蜀江錦幡残欠 飛鳥時代
Fragments of Shokkokin ban
005 ○ 蜀江錦 飛鳥時代
Shokkokin brocade
006 ○ 広東裂 飛鳥時代
Fragment of Kanton b